違和感
ツイッターの呟きひとまとめに。
募金に協力はできないけど、募るのはご自由に、と。
近しい人間だと協力を惜しまないかも知れない。
自分ができる範囲で、だろうけど。
以下連投分。
熱下がって、元気になってテレビに突っ込む余裕が出てきた。
— 小森保人 (@komori_yasuhito) 2016, 2月 16
この手ので毎度思うことだけど。
子どもの命を救う為に募金を募る事を良しとすることは美談だから反対なんてしようものなら、人でなし扱いされる。
だから言い辛いけど、特定の一人だけを救う為に情報を拡散するのは不公平だよね。
tenで重い心臓病の娘さんを救って欲しい、という内容の特集。
— 小森保人 (@komori_yasuhito) 2016, 2月 16
その気持ちに賛同する事を止めはできないし外国での費用が2億円程度の金額がかかるとの事で、募金に頼る気持ちも理解できる。
ただ、臓器移植の性格上、救える命は一定数で、移植待ちは増えこそすれ減らない。
医療の進歩で重篤な疾患を持っていても生きる事ができる命が増え、移植待ちのレーンにのる事になっている。
— 小森保人 (@komori_yasuhito) 2016, 2月 16
世界が豊かになればなるほど、移植で救える命が増える事になる。
ただ、移植にはドナーが必要で、それはいつ表れるかはわからない。
心臓ならドナー一人で提供できるのは一つ。
ということは、切迫度や将来性やら諸々の諸事情を勘案してドナーに適合する患者群のなかから選ばれる事になる。
— 小森保人 (@komori_yasuhito) 2016, 2月 16
この辺り基準が気になる所だけど、金銭的負担の大小もおそらく勘案されてしまうのだろう。
そう考えると、外国で臓器移植受けるってことは、その国の移植待ち患者を一人蹴落とすことに。
そう考えると、募金での臓器移植を受けることってのにはどうしても疑問符がついてしまう。
— 小森保人 (@komori_yasuhito) 2016, 2月 16
子どもがいない僕だけど、自らがもし同じ状況になった時には外国での移植待ちはどうしても踏み切れないと思う。
と批判的に書いてるけど、募金自体には反対ではないです。
賛同するのも個人の自由だから。
ただ、同じような状況の子どもはそれこそ何人もいて、募金も様々行われている中で特定の子どもが夕方のニュース番組で取り上げられて募金を呼びかけてもらうって事に一番の違和感があっただけです。
— 小森保人 (@komori_yasuhito) 2016, 2月 16
取り上げてもらった側はありがたいだろうけど、マスコミの側は公平性をもう少し担保しようよ、と。