努力は往々にして報われないよね

報われる事を目標にするとすごく辛い。

だが、一方であまり努力もせずに得た成果は「棚から牡丹餅」と呼ばれる。

これはその成果を得た本人にもそのような認識をもたらす。

「棚から牡丹餅」であるのだが、その機会を仕込んでいるのは紛れもなく本人でそこには本人は努力であると認識できていない努力が潜んでいる場合が多いように思う。

僕自身の経験では努力とは何かを我慢してがんばる事であると教え込まれてきた。

それはつまり「楽しんで」努力した事は、努力したと感じれていないのでは無いのかなと。

でも、大概、楽しんで努力している方が熱も入って良い努力ができて、結局そちらに成果が出る。

それが棚から牡丹餅なんじゃないのかとか最近思ったりする。

人間はいつか死ぬし、ある年齢からはどこかが衰えていく。

成長し続けると同時に、他方は衰える。

努力するための時間も気力も体力も限りあるものだから、どうせなら楽しく努力できる部分、つまり自分に向いている努力を見つけ出したいものだ。

ただ、学問にせよ遊びにせよ、「面白さ」がわかるには苦しい下積みをある程度熟さなければいけないのもまた然りで、痛し痒し。