何でもない日おめでとう

悲惨な事があった日を「記念日」にして追悼することは、悲劇を忘れない為に必要かもしれない事だけど、その日が「何でもない日」になって、悲劇を覚える必要がなくなる事の方が素敵だと思う。

平和ボケができるってのはとても素晴らしいことだよ。

平和では無い状況を平和だと錯覚できる無知も当人にとっては素晴らしいことだよ。

他国によって自国民が拐かされて、我が国の土を何十年と踏めない状況が作られているのに、国が相手だと助けにすらいけない平和って何なのだろう。

話合う為の言葉が通じない時に、問題解決をするにはいったいどうすれば良いのだろう。

権力は即ち暴力で、最後には力尽くで従わせる装置が必要となる。

戦争を抑止するための戦闘力を拒む人は警察の武装をも拒むのだろうか。

それとこれとは話が違うのであれば、なぜ話が違うのかを明確に説明して欲しいものだ。

何でもない日おめでとう。